ルパン三世とジャズボーカル
初期では、ルイ・アームストロング、ビリー・ホリデイと黒人歌手が活躍する。スウィングジャズの頃になって、白人も注目を浴びるようになる。フランク・シナトラはこの時期にスターとなった。個人的にはチェット・ベイカーもいい。
映画「ルパン三世 カリオストロの城」に挿入歌に「炎のたからもの」がある。
動画では佐々木久美さんが歌っているが、映画ではボビーさんが歌っている。
ジャズに限らないのだが、楽器に比べてボーカルは上手下手が一瞬でよくわかる。これは本当に残酷なので、歌うのは勝手だがお金を取る人は覚悟していただきたいとよく思う。
ルパン三世とスイングジャズ
もともとジャズの歴史は、アフリカ系アメリカ人の歌とヨーロッパから持ち込まれたブラスバンドの演奏。
だから、ヘッドアレンジ(楽譜なしの自由演奏)、大人数のビッグバンド
の特徴があり、スイングジャズがトリオよりも歴史が古い。有名な「sing sing sing」もそうなのだが、スイングジャズは明るく豪華だ。
スイングジャズのピークだった1930年代は、世界大恐慌(1929年)が起き暗い世相だった。だから、明るいスイングジャズが発展したのだろう。あらためてルパン三世のテーマ曲を聴くと、元々はスイングジャズをイメージして作曲していたであろうか。
大野雄二と作曲
ちょうど映画「人間の証明」の作曲が終わった頃、日本テレビのプロデューサーから「ルパン三世(第2シリーズ)」の作曲をオファーされた。今まで、CM、テレビ、映画と多様な作曲をした経験が、ルパン三世の無国籍でジャンルに問われない世界観に生かせると思った。だから、作曲できる期間(2週間程度)は限られていたが、ルパン三世の作曲を引き受けたという。
ルパン三世のテーマは、メロディに新しさやかっこよさを求めるのではなく、わかりやすさにこだわった。かっこよさなら、仕上がりの段階で、アレンジで対応しようと思った。
<大野雄二(ピアノを弾いている男性)の略歴。>
静岡県熱海市出身。小学校の頃に始めたピアノが音楽を志すきっかけとなる。高校生時代にジャズを独学で学び、慶応大学卒業後、プロになる。CM、テレビ、映画と活躍の場を広げていった。
ルパン三世とジャズ
このブログの内容は、個人的な趣味にまつわることを書くつもりである。だから、当面はあまり深く入りこまず、広く浅く書けたらと思った。
登山は実際に登ると面白いのだけど、文字にするとあまり伝わらない。そういうわけで、音楽について話題を変えたい。少しの間、カッコよく敷居の高いジャズの記事を書こう。
ジャズは敷居が高い。なんとなくサックスとピアノとトランペットというイメージなのだろうか。知っている人が多くても好きな人が多くてもBGMとしてなんとなく聞くぐらいの人が多い。
敷居が高い理由のひとつは、メロディのわかりにくさなのだ。ポップはその逆で、人気の理由はメロディの圧倒的なわかりやすさにある。Aメロ、Bメロ、サビがあり、それぞれ同じメロディが使われているから、老若男女でも誰でも音楽を理解できる。
だから、ジャズでもメロディをわかりやすくすると一気に敷居が下がる。そのよい例が映画やアニメのテーマ曲だ。その中でも「ルパン三世」は、元々ジャズ好きが興じて作曲家になった大野雄二によって作曲されているから、アレンジも際立つ。
360度の絶景
天候に恵まれたGW後半。もう少し快適に登りたいと思い、10年前の登山ガイドで事前に調べて、今回は「簗谷山(やなだにやま)」を登ることにした。
簗谷山にしたポイントは、ガイドブックに「360度の展望」と書かれてあったからだ。頂上に到達した時に景色は重要だ。
この地域は南飛騨と奥美濃の境。近くには渓流釣りの名所、少し南に行くとキャンプ場とアウトドアとして整備された地域である。
東海北陸道を北上し郡上八幡インターを降りてから約1時間、ようやく登山口にたどり着いた。もうすでに下山している人が何人かいた。前回、誰も登っている人がいなかったことに比べると今回は登山者多数。真っ当な登山になる予感がした。
ただし今回も登り始めるのは13時過ぎだった。
登り始めてすぐせせらぎを聞きながら川を渡った。分岐点に到着して、ブナの木ルートに進んだ。選んだ理由は、ガイドブックがブナの木ルートを利用した内容であったことと、まだ日差しが強いから南尾根ルートだと暑いのではないかと思ったからだ。多少、踏み跡がわかりにくい場所もあったが、オーソドックスな登山道に満足しながら標高を上げていった。
途中、どでかい石(小屋ぐらいの大きさ)に出会った。山に登ると度々出会う。どういう経緯かしらないが自分のいる間は動かないでほしいと思いつつ、その脇をすり抜けた。
尾根に上がる頃、前方の笹がせわしなく鳴っている。人にしては、大げさすぎる音だ。もしかすると熊だろうか?少し身構え登山用のステッキで応戦しようかと考えた。登り続けると、その音は遠くへ行き動物の走る影が3匹ほど見えた。後ろ姿から熊に見えたが振り返って、ニホンザルだとわかった。
右手側(東側)には、遠くに北アルプス(たぶん穂高連峰)が見え、山頂にはまだ積雪がある。あの辺りだと涼しいだろうと勝手なことを思った。所要時間を要しない山。あまり疲労せずに山頂に着いてしまった。
登山口で下山している年齢層が高齢であった理由がわかるような気がした。ある程度体力のある人なら60代でも十分に登れる山だ。
景色はガイドブックに書いてあるように360度開けていた。遅めの昼食をとることにした。
峠
GW(ゴールデンウイーク)前日、残業している自分にたまたま部長が話しかけてきた。
「GWはどこかへ行かれるのですか?」
どこにも行く予定は特になかった。でも、知り合いが登山を始めたとFacebookに投稿されていたから、久しぶりに登山もいいかなと思っていた。だから、その質問に対して「登山に行こうかと・・・」と返答した。
4月29日、お気に入りの二つ森山へ行こうと思った。お気に入りになっている理由は、20代後半、大人になってから始めて登った山でありながら、山頂からの景色は絶景であるからだ。
小牧インターから高速に乗りそして中央道へ。GWの為、いつもより混んでいた。家族ずれなのか、追い越し車線をのんびり走る車が気になった。気になりすぎていた。本当は、中津川インターで降りるはずが通りすぎてしまった。逆走できるはずもなく、次の園原インターで降りなければならない。そのインターが恵那山トンネル(長いトンネル)の先と知った時は大きく落胆した。戻って二つ森山も目指すか、せっかくだから別の山へ行くか考えを巡らした。園原インターの降りて、即、持ってきた10年以上前の登山ガイドをめくった。
園原インターの近く「梨子野山(なしのやま)」に向かうことにした。
梨子野山とは、昼神温泉の北側に位置する南信濃の山で、南の鞍部の梨野山峠は信長公記に登場する。そしてこの登山道(峠道)は、木曽妻籠宿と伊那の飯田結んでいた。歴史小説に登場する峠のイメージだ。
しかし、登山口がなかなか見つからない。ガイドブックが古いせいか、一度登り始めたところは行き止まりだった。ここで1時間くらい歩いてお昼になってしまった。今日はこれくらいにしておこうか。帰りに温泉に入って帰ろうという、おじさんの発想が湧いてきた。最近、本当にすぐに休憩モードになってしまう。
もう1時間歩いたし、帰宅モードで昼神温泉へ行こうとした。その際、本来の登山口へ行く道と思えるところを見つけてしまった。通りすぎて昼神温泉についたものの、駐車場が満杯・・・「せっかくここまできた。そして登山口も見つけたのだから、よし登ってやろう」と気持ちが切り替わった。
スタート時点で12時30分。コースの想定時間が4時間以上、結構タイトなスケジュールであった。ちょっと緊張しながら、久しぶりの登山に覚悟を決めた。
分岐点までは、軽トラなら走れるぐらいの平坦で広い道で歩きやすい。少し日差しが強く汗が出てくるものの、5月の暑さなら余裕だ。ただ、虫が多く自分の耳のまわりをブンブン飛んでいるのには閉口した。何度も何度も手で払っても、ずっとついてきた。
途中、山の木々を伐採したところに出た。近くに民家も見えた。こんなところに住んでいるのだろうか。
分岐点から、いよいよ人しか入れないほどの狭い登山道に入った。ここで13時30分、久しぶりの登山でゼイゼイと背中で大きく呼吸をしていたから、休憩したが、虫がまとわりついてきて気分が萎えそうになる。しかし、せっかくここまで来たのだから重い腰を上げた。
日差しも木々で隠され、川のせせらぎを聞きながら、山の匂いをたっぷりと味わいなら歩く時間は心地よかった。しかし、その時間はあまり長く続かなかった。
登山者が少ないのだろう。登山道に枯葉や松ぼっくりが積もっているために歩く感覚がフカフカで、急勾配になり始めた山道が歩きづらくてしょうがない。そして、花粉かホコリなのかくしゃみも出る。そして何よりも辛かったのは、やはり虫の大群が一段と増えて襲ってきた。ゼイゼイ呼吸したくても虫が入りそうなので、口に手をやって呼吸をした。なぜ自分はGWに虫の大群に襲われながら、このような苦行にしなければならないのだろうか。
今回、二つ森山を登るつもりなのだから、まったく山に対して情報がない。せめて方位磁石だけでもあると、自分の立ち位置がもっとわかるのだが、それすらもない。急な坂がなかなか平坦にならず、自分の位置もわからず心が折れそうだった。ただ道は間違っていないことだけが救いだった。
標高が高くなるにしたがい、足がより一層重く思うように動かなくなってきた。ある意味、久しぶりの感覚だ。辛いが、なぜか悪い気はしなかった。
先に少し空き地らしきところが見えた。山頂だろうか?眼下に広がる景色も晴れてきた。(その時の写真が最初の写真)
梨野峠に到着。山頂はまだ先であった。ガイドブックによると山頂には何もないらしい。この時、14時20分ぐらいだった。15時までに山頂に着く自信はあったが、下山した。
下山の際、あれだけ嫌だったフカフカの道はクッションとなり早足で下ることができた。だから虫にも追いつかれなかった。登りの環境が悪かっただけに、下山が快適に思えた。
人生も登りから下山に向かおうとしている。快適に下山できるかもしれないし、困難に直面するかもしれない。その時、まわり道をして登ってきた経験がいきるような気がした。