チェット・ベイカー

ジャズマンで、麻薬で身を滅ぼした人はかなり多い。この人もそう。

 

管楽器というのは色気もなにもない金属のラッパだ。なのに彼にかかれば、人の歌声のようになめらかに生きているような音を出す。ポール・デズモンドのアルトサックスも同じ。

 

ジャズの世界はその歴史から黒人プレーヤーが多いが、チェット・ベイカー、ポール・デズモンド、デイブ・ブルーベックビル・エバンスなど、白人の演奏のほうが好きだ。

 

たぶん、これは偶然ではなく、黒人の演奏はアレンジが自由すぎるように思う。(あくまでも自分基準)その発端で分岐点は、チャーリー・パーカーのような気がするが、これについてはまた別の機会に書きたいと思う。

 

 

久しぶりの低山では道は迷わない

 ふらっと低い山へ行くと面白い。特に今まで行ったことのないところだと、冒険できておもしろい。

 

 場所は金華山から北東。たまたまガイドに載っていたのかどうかも忘れてしまったが、とにかく公園もあるような山だった。ハイキング向けの道が整備されていて、ちょくちょく登っていた。

 

 ただ、その都度、多方面に道があったのを不思議に思っていた。今回、今までと違う道を進むことにした。過去に登山中、何度も道に迷いかけた(実際本当に迷った)こともあるので、迷わない方法は熟知していた。来た道を必ず戻れば迷わないのだ。T字路で左に曲がったら、左に曲がったことを覚えていれば問題ない。2度目のT字路で右に曲がったのなら、2番目は右に曲がったと覚えればいい。帰りは逆に左に曲がって右に曲がれば帰れるはずである。

 

 今まで登っていたとは逆のところに行ってみた。整備はされているが、明らかに最近人が通った形跡がない。蜘蛛の巣にたくさんひっかかった。

 

 少しずつ標高を上げていき、いよいよ登山っぽくなってきたら岩を切り開いたところに出くわした。何があるのだろうと進んだら、アスファルトで整備された道であった。せっかくだからと、その道を標高の上がる方向へ進んだ。たぶん、自分の想像では、最終的に車を止め道にたどり着くと思った。

しかし、残念ながら行き止まりだった。(写真はその時のもの) 

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 帰り道、来た道を戻るはずだった。しかし、このままアスファルト道を下ればどこに行くのか興味があった。たぶんこの道こそ、自分の車をとめた道に通じると思った。でも、その確証はない。どうしようか迷った。迷ったあげくとった行動は、Googleマップ使ってしまった。せっかくの探検が台無しである。

 

 調べた結果、車の止めた道には通じなくとも、その周辺に通じる道とわかり、不安はない代わりにネタバレになった映画を観ているような感じで下っていった。果たして、それは楽しいのだろうか?リスクを犯してもGoogleマップなどには頼らず自力で進むべきではなかったのか?

 

 人生には、定石のような道がある。こうすれば比較的楽に幸福になれるというような生き方だ。しかし、それはつまらないのだ。やはり自分で自分の人生を取捨選択していくほうがおもしろいのだろうと思う。

sing sing sing 日本人の才能

これもスタンダードナンバー、学校の吹奏楽でよく演奏される。

前回と正反対の明るい曲だ。

海外も含めて、この「原信夫とシャープス&フラッツ」が一番素晴らしい。

ボーカルの場合、日本人が英語の曲を歌うとどうしても発音が気になってしまう。どれだけうまくても外国人が歌う演歌のようで、素直に受け取れない。

その点、楽器演奏はそんなことは気にせずに、国籍関係なく勝負できる。

(「この動画はYouTubeでご覧ください」のリンクをクリックすると動画が見れます。)

枯葉 チェット・ベイカーとポール・デズモンド

これもジャズのスタンダードナンバー。

前回登場のポール・デズモンドとチェット・ベイカー(トランペット)。

個人的にはこれあまりジャズっぽくないと思っている。

実際、曲の成り立ちは、シャンソンであり、作曲家はジョゼフ・コズマという映画音楽の大家と調べて納得。

メロディの情感の豊かさは尋常ではなく、ストーリーが思い浮かぶくらいだ。

ちなみに付けられた詞は、男女の恋愛模様らしい。

最初聞いたころ、泣けてしょうがなかった。

それほど、曲自体優れているし、気持ち悪いくらいトランペットが感慨深い。

 

Take Five デイブ・ブルーベックの転機

ピアノがデイヴ・ブルーベック。作曲とアルトサックスがポール・デズモンド。

 

まずはデイブ・ブルーベックから話を進めよう。

 

大学卒業後、アメリカ陸軍に入隊。1944年ノルマンディー上陸作戦後のヨーロッパへ向かった。最前線へ行く前、赤十字の慰問でステージが行われた。たまたま誰も弾ける人がいなかったのでデイブがピアノを弾いた。

(デイブは子供の頃からクラシックピアノを母親から習っていた。)

 

その時の上官が、デイブを最前線に戦うよりもバンドを作らせるという判断から、ジャズピアニストのデイブ・ブルーベックが誕生した。

Fly Me to the Moon カバー

Fly Me to the Moon自体がもともとアレンジであったことは前々回書いた。

現代でも、アレンジやカバーしている人(日本人歌手も)は本当にたくさんいる。

その中でも、Jason Mrazジェイソン・ムラーズ)とColbie Caillat(コルビー・キャレイ)のカバーはいい。

ふたりの現在の活動を見るとポップ、ロック、フォークが多い。

 あと、結構古いけど、Doris・Day(ドリス・デイ)もいい。

エリントンとストレイホーンとA列車で行こう

ビッグバンドのピークにいたのはエリントン楽団。

そのリーダー、デューク・エリントンピッツバーグで知り合った男が、ピアノを弾き作曲をし、生計のためにドラッグストアで働いていたストレイホーン。

その才能を感じとったエリントンはニューヨークで再開を約束。

ニューヨークでエリントンがストレイホーンと会った時に、ストレイホーンはある曲を作曲してきた。その曲は、エリントンが地下鉄で自宅までの行き方を説明した内容に、インスピレーションを受けていた。

その曲こそが「A列車で行こう」。